《言葉の重み》ってリアルだったんです。次元の問題でした。

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こんにちわ、

聖職者の弟子ときな@バリ島です。
てっちゃん先生と仁美先生が日本に帰っちゃった。

しょんぼり。
弟子は途端に風邪をひいてしまいました。

今日もバリ島よりお送りします。

『感謝について考察4日目!』

ひとみ先生に再度

『感謝レベルが足りない』と言われた弟子。

頭で思ってもないのに『ありがとう』という事が
どんなに恐ろしい現実を引き寄せるか!?
というのがわかってきました。

〜ここまでが前回のあらすじ〜

前回の記事→ http://ameblo.jp/tocky358/entry-12014709406.html

仁美先生が
てっちゃん先生以外の他の方と話している時に
よく会話が噛み合ってないのが
面白いな〜と思う時があります。
(自分の時ももしかしたらそうかも)

とある人が冗談でいった嘘の話が
仁美先生には嘘にならない。

とか、

先生の話を理解したように
「ええ本当にそうです!」
って口では言ってるけど

本当にわかってるのかな?
みたいな薄い反応だったり

すごく前向きな意見なのに
逆にネガティヴに捉えネジ曲がっちゃったり

同じ場所にいるのに
何か違う場所にいるような
人間語を話して言葉は
キャッチボールしてるのに
何かずれているような感覚になったり。

それが今回の感謝の気がつきで
あーって腑に落ちた。

仁美先生の言葉は
耳で聞こえて頭でイメージするよりも
ずっと重みがあります。

そして意味合いが
三次元的固定観念ではわからないことがおおい〜。
こういうことかな?って思ってても、

上辺だけでなくめちゃ深いから
レベルが違うーーーー><

って思ったりする。

先生の言葉は
頭から発せられたものじゃなく、
魂からだから、エネルギーの塊なんだと思う。

仁美先生
「私はときなちゃんの脳みそに話してるんじゃなくて、魂に話してるの」

脳みそでキャッチしても
きっと別のものになってしまうんだ!

それがあの微妙に
次元のずれを感じさせていたのかも。

全てがハッピー目線。
毒っぽい言葉であっても
すごーーーーくハッピー目線で言葉を使ってて

可愛いと思うこと多々あります。

さて、感謝の話にもどります。

私はなんで上辺だけの
よくない循環を生み出すような『ありがとう』を

言うような感謝の仕方を

覚えてしまったのかなあ・・・

こないだお母さんが子供に怒っているすがたをみて
思い出した。

『ほらっありがとうっていいなさい!』

よくドラマなんかでため息をついている人を
思い出した。

『あいつは ありがとうも言えないやつだ』

なんて、

そう、

子供の頃に仕込まれたさ!世間の常識!

小学校で
『ありがとう』を教えられた!

理由はなんでもいいから『感謝』せよ!
それがマナーだ!ってさ。

ありがとう、ごめんなさい

言えない子はダメな子でした。

だからありがとうが言える子は、

いい子で偉い子なんです。

『宇宙に心から感謝です』とか、
かっこよく使うと

なんか、自分が偉くて、賢い人になった気がする。

満たされない心のどこかが、
ありがとうが言えるちゃんとした子ですから、

こんなにできる私すごいでしょう?

って主張して、満たされる気がする。

本当の感謝に気付けないようなやり方に
洗脳されてたわけですね、、、、

自分にがっくり、、、、

言葉って、表現力ないなあ〜。
気持ちが入ってても、
入ってなくても肉眼では同じにしか見えないし、
耳で聞くだけなら同じにしか思えない。
薄っぺらくなるよなあ。。。

でも仁美先生はそう言う薄さがわかっちゃうみたい。

仁美先生
『あれ?言う割になんか嬉しそうじゃないよねー?』

とか、バレる。笑

魂で言葉を扱う人にとって
頭から出てきた言葉は全く別物みたい。

感謝の考察!
現在非常にのんびりペースですが、
まだまだ続きます!

本当にこの考察を始めてから
日々の次元がガラリと変わりました。

感謝感動して涙が溢れる事が多くなりました。

こんな感動は仁美先生に
会えなかったらありませんでした!
仁美先生に大変大変大変大変感謝申し上げます。

それと、ここまで色々な方面から
私を支えてくださったみな様にも
この場を借りて感謝したいと思います★

次回はまとめ!

頭でいう感謝の次元を知った私の思い、その結果をちょいと書こうと思います。

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